/ 金正恩朝鮮労働党総書記の革命活動
金正恩総書記が「地方発展20×10政策」ソンチョン郡地方工業工場の竣工式で行った演説
 ソンチョン郡内の住民の皆さん、
 わが国家の建設史上初めての「地方発展20×10政策」と共に組織され、祖国と人民に最初の創造物を出した各級建設連隊の指揮官、兵士の皆さん、
 地方変革の歴史的大業を主導する重大な使命を担い、年中粘り強い闘争を展開してきた各級推進委員会の指揮メンバーや関連部門とピョンアン南道内の幹部の皆さん、
 同志の皆さん!
 今年の2月、歴史的な地方発展革命の第一歩を告げる着工の発破音と共に、皆が強烈な宿願を抱いてくわ入れをしてから全国の関心が集められていた初年の対象建設がやがて完工の日を迎え、このようにソンチョン郡の財産としてその姿を現しました。
 わが党の10年革命の開始を宣言した歴史的な場所で、10カ月ぶりにその最初の結実を前にして竣工式を行うのは、われわれの活動の真意と前途を確認する意義深いことです。
 近代的な新しい工場をこの地方の主人に贈るようになったと思うと、常に抱いていた地方人民に対する申し訳ない気持ちもいくらか安らぐようです。
 この意義深い場を借りて、党と共和国政府を代表して、熱烈な愛国忠誠の心で新時代の地方発展史の第一ページを誇り高く記してソンチョンの新しい様相を現出させた建設連隊の将兵と全ての軍人建設者に深い感謝を送ります。
 併せて、清らかな真心を尽くし、限りない責任感を発揮して今日の竣工に貢献した関連単位の幹部と勤労者、支援者たちにも深い謝意を表します。
 同志の皆さん!
 やがて、新年の始まりと共に数十の地方工業工場が、ここソンチョン郡でのように全国のほぼ20の市・郡で一斉に竣工することになります。
 この鼓舞的な現実は、地方人民の生活環境を改善するための革命的な路線を積極的に模索し貫徹してきたわが党の地方発展政策実行の初年の課題が完遂されたことを意味します。
 10年革命の始発と共にその成敗を推し測る縮図とも言える今年、われわれは全国の各地域に新しい実体を打ち建てることによって、人々に地方が変わるという確固たる認識を与え、地方発展政策を多角的で豊かな経験に基づいてより科学的かつ正確に推し進められる原動力を確保しました。
 地方工業革命の前衛部隊である各級建設連隊の戦闘力が大いに向上し、国家的な指導体系と保障体系が整然と立てられたのも、地方の変革を多段式に、立体的に、攻勢的に成し遂げるための立派な展望を開いた重要な成果であり、保証です。
 1年の間にこのような多くの成果を達成しましたが、これは、われわれが早くも自己満足したり万歳を叫ぶ理由にはなりません。
 過去の時代に地方発展に関する政策と路線がなく、努力と資金を投じなかったので今のように全般的な地方工業が零落したのではありません。
 それでは、どうしてチャンソン連席会議からも60余年が経った今まで地方工業政策が貫徹できなかったのでしょうか。
 今日、このように党中央指導機関のメンバーをはじめとする党と国家の指導幹部や、中央と地方の関係者が集まって地方工業発展の問題を現地で論じる機会に、今後、これ以上胸の痛む二の舞を踏まないようにするために、この問題を必ず分析してみる必要があると思います。
 その重要な原因はまず、地方工業を発展させるための活動がはっきりした目標や段階別計画、明確な基準や科学的な方法論なしに進められたところにあります。
 地方工業はわが国で初めて開拓された工業分野です。
 他人が歩んだことのない未知の道であるほど標柱や里程が明確でなければなりませんが、これまで地方発展政策実行のための活動は極めて散発的で自然発生的でした。
 地方経済の最も基本的で普遍的な工場建設について言うならば、いつまで幾つの市・郡にどんな工場をどのような水準で建設するというはっきりした目標や基準もなしに地方自体で別々に行われたため、工場の数を増やすことにだけ執着する弊害をなくすことができず、はては、当該地域の住民の生活に必ず必要な工場はなく、不必要な工場は建てられるといった非正常な結果まで招きました。
 手間のかかる工場の建設はなるべく避け、工場の数だけ揃っておけば無難であった活動体系、どんな製品を生産するにしても住民に供給したという実績さえあれば評価されていた慣例は、過去の時代の地方工業工場の様相と地方工業に対する人民の否定的な認識にそのまま反映されていると言えます。
 以前、ウシ郡、ヨンタン郡のように地方工業分野において一定の成果がある市・郡と、その反面、甚だしく立ち後れた水準にある地域が並存する大きな不均衡が持続されたのは、地方工業政策が明確な基準や原則もなしに実行されたことに起因しています。
 このように、地方工業工場の規模と形態、生産工程の甚だしい相違はもちろん、それに伴う運営水準もそれぞれ異なるため、全ての地域の人民生活を全般的に改善しようとする政策的意図にも反する結果を招きました。
 冷静に評価するならば、党政策に対する当該部門、当該地域の幹部の姿勢と能力、そして市・郡の経済的潜在力によって左右されるしかなかったのが、ほかならぬ過去の時代の地方工業政策でした。
 チャンソン連席会議以降、地方工業工場の建設が引き続き拡大されて、1980年には工場の数がほぼ4000に増えましたが、建物の状態と技術水準はさることながら、当該地域の経済地理的条件と地域の潜在力を最大限開発・利用できるように整えられた工場はわずか数個しかならず、実際に人民が要求する製品の種類と品目は指で数える程度しかありませんでした。
 ここソンチョン郡にも、以前は食品・日用品・衣料・建材・製薬・農機具工場のような少なからぬ地方工業工場がありましたが、その実態がどうであったかは、ここに住んでいる住民がよく知るだろうと思います。
 結局、地方工業が数十年にわたって建設されてきたとはいえ、実際は人民が相応のおかげをこうむることができませんでした。
 原因はまた、地方工業政策を実行するための活動が党と国家の活動として力強く展開されなかったところにあります。
 地方工業を発展させる活動は、全ての地方人民の生活向上と200余の市・郡の経済発展にかかわる膨大で複雑な活動であり、国家の責任と役割が不可欠です。
 これには、この活動を統一的に掌握・推進する整然とした指導体系の樹立、国家の投資と中央工業の支援は言うまでもなく、市・郡が自らの資金を確保できる条件の保障と原料基地の合理的な調整・配置をはじめ、国家的に対策すべき多くの問題が含まれています。
 しかし、これまでの過程をみると、地方工業を発展させる問題は事実上、地方主体の活動になってきたと言えます。
 連席会議で提示された重要な課題である、地方工業工場の生産工程を機械化、オートメ化する活動だけをみても、一部の重視される対象を除いては、中央の工場、企業の余裕生産品や廃棄された設備を持ってきて組み合わせており、多くの場合、大衆的運動という外皮をまとって地方の労働力と資金を動員することにのみ執着しました。
 中央工業の余力と自らの立ち後れた経済技術力に依拠する地方工業が、根深い後進性から脱することができず、時代に立ち後れるしかないというのは自明のことです。
 地方工業の新しい歴史が始まった故郷と呼ばれ、中央の支援を最も多く受けたというチャンソン郡の地方工業工場までもが、正常な投資と技術援助を受けられず、設備の水準が近代化を論じることもできないほど立ち後れているのだから、他の地域の実態は言わずもがなのことです。
 チャンソン郡を押し立て、全国に一般化させるとして記録映画で紹介もし、チャンソンが変わったという歌まで作って歌いましたが、地方人民に実際にそのおかげをこうむらせたのはどれぐらいかということです。
 国の全般的経済事情で地方工業工場が完全に頓挫し、地方自らの能力では再建が不可能だというのが明白な状況の下でも、政府内の経済機関では、モデル工場を数個建て、年次別に地方工業工場を近代的に改築するという非現実的な空理空論に明け暮れ、形勢と条件にかこつけてきました。
 それに、地方工業を指導する中央機関が10余回にわたって他の機関と統合・分離されて地方経済に対する国家的な指導・管理に無秩序と混乱が招かれ、その過程で地方工業工場の建物や設備が少なからずなくなり、経済的効率も大きく低下しました。
 このように、必須の国家的投資と統一的な指導が正しく保障されなかった上、市・郡が資金の収入を増やすのに有利な地域と資源を省・中央機関、武力・特殊単位が占め、経済活動空間を萎縮させたので、地方工業が独り立ちすることも困難になり、地方人民の創造的な生産活動に対する意欲まで落とすようになりました。
 以上で述べたように、不合理かつ有害な状態を改変する革命的な措置がなければ、いつになっても地方工業が立ち直れないというのが、われわれの下した結論です。
 国の地方工業が今日のような事態に至ったのには、地方工業発展に直接の責任を持つ幹部の誤った観点と非革命的な活動態度、無能力にも重要な原因があります。
 地方経済が活性化していた1960年代と70年代には、ナンポのガラス容器やサリウォン・キョンアムサンの靴ずみ、ウォンサンの鉄製日用品をはじめ人民の好評を受ける消費財もあり、さらには国際市場にまで進出した人気のある軽工業製品もありましたが、幹部たちがその生命力を持続的により高く拡大・発揚させるための活動に思想的に取り組まなかった結果、多くの努力を傾けた地方工業工場も次第に価値を失うようになりました。
 これまで経済部門の幹部が軽工業部門工場の近代化だの技術改造だのとよく言いましたが、その念頭には中央工業のみがあって、地方工業はなかったのです。
 地方の人々に中央の製品よりも劣るものが与えられるのを当たり前のように見なし、質より量を先に考えながら、生産計画を遂行できなかったという追及から免れようとする幹部の偏狭な思想観点と近視眼的な活動態度により、多くの地方工業工場が事実上真の主人のない工場になってしまい、地方工業発展が停滞するようになりました。
 さらに、1990年代からは工場が完全に操業を停止する状態になりましたが、幹部が条件にかこつけ敗北主義に陥って、地方工業を担って立つべき技術者、技能工陣容さえ保存できませんでした。
 地方工業はあくまでも、当該地域の経済的資源と地理的条件に依拠している固有の属性からして、地元の潜在力を積極的に開発・利用するための対策が講じられてこそその役割を果たすことができるのです。
 このため、金日成同志は早くから、山を控えたところでは山を、海を控えたところでは海を十分に利用して人民生活を高めることについて機会あるたびに強調しました。
 しかし、これまで山間部では、山に自然に実る野生果実を採取して飲料を作って飲むのが関の山であったし、海岸では海で捕れる魚や引き上げた海藻を住民に供給するのが全部でした。
 一言で言って、自分で開拓する富ではなく、自然の恩恵に依拠して生産活動と経済活動を受動的に行ってきたのが、過去の時代のわが国の地方工業の実状であり、幹部の非革命的な活動態度でした。
 ここに集まった幹部たちは、長年にわたる立ち後れから脱することができずにいる地方工業の経済的貧弱性について客観的条件を論じる前に、当然、地方人民に対する幹部自身の誤った観点と欠如した奉仕精神、狭い眼識と無能力に原因を求めなければなりません。
 これが、地方人民の生活に全的な責任を持つ幹部の正しい態度であり、教訓に自分を照らして活動を改めようとする積極的な姿勢です。
 今日地方工業を担当している幹部は、以前この部門の活動を受け持っていた幹部のような無能で無責任な幹部として歴史に残ってはならないでしょう。
 同志の皆さん!
 今日この機会を借りて、1964年の党中央委員会第4期第8回総会で採択された社会主義農村問題に関するテーゼが、なぜ60年が過ぎた今日まで貫徹できなかったかということについても述べたいと思います。
 朝鮮革命と社会主義建設の現段階と将来における農村問題は、その進退を決する要の位置にあり、この問題を正しく解決できずには、われわれ自身が厳しい困難を乗り越えて成し遂げようとする偉業の正当性と勝利の必然性が証明されず、望む目標へ到達することもできません。
 われわれは今社会主義の完全な勝利へ向かう途上にあり、農村問題の解決はさらに高い段階への移行を準備する過渡期に遂行すべき最も基本的な課題です。
 社会主義建設の過程は、階級的な立場からみれば全社会の労働者階級化が実現される過程であり、社会経済関係の立場からみれば農業の工業化、農村の都市化、所有形態の単一化が実現される過程です。
 これは農村問題が最終的に解決されれば、過渡期の任務が完遂され、社会主義の勝利を宣言することができるということを意味します。
 ましてわが国のように正常な社会発展段階を経ていない国の場合、ほかならぬ農村問題のため比較的長期間の過渡期を経るようになるだけに、農村問題をいかに早く解決するかによって過渡期をいかに早く経過するかが左右されます。
 それゆえわが党は、社会主義革命が勝利したあと、農村問題の最終的解決を重要な戦略的課題として提示し、その実現のための方向と基本原則、方途を集大成して社会主義農村テーゼを打ち出し、長期間にわたって闘争を繰り広げてきました。
 しかし、今日に至って冷静に評価してみると、わが国の農村は全く変わっていません。
 もちろん、農村の社会経済的特性と長きにわたる後進性からして、農村問題が粘り強い闘争と努力によってのみ完全に解決されうる長期的かつ困難な課題であることは事実です。
 しかし、テーゼが発表されてからもう60年の長い歳月が流れましたが、実際に農村の全ての領域でいかなる変化や改善もなかったということは重大な問題だと言わざるを得ません。
 むしろ今日にいたるほど農村は一層疲弊し、都市と農村の格差は一層大きくなり、農民の生活は一層零落しました。
 これは明らかに、農村テーゼの貫徹を目指す闘争における停滞であり、後退です。
 まさに、農村問題の解決に何の進展もなく、農業の発展が退歩したため、一部では農村の展望を憂慮し、社会主義の勝利への確信が持てない傾向まで現れています。
 社会主義農村テーゼのような綱領は世界のどこの国にもないものですが、なぜ当然の実を結ぶことができなかったかについて深く考えてみるべきです。
 私の見解は、農村がなかなか不振状態から抜け出せずにいるのも、地方工業が凋落した原因と本質上変わりがないということです。
 農村テーゼは、発表直後から長年の後進性と貧窮が支配していたわが国の農村を画期的な変革へと強く牽引する上で大きな作用をし、その道程で国の農業発展は高い段階に達するようになりました。
 しかし、厳しい経済的難関に直面し、農業部門への投資が国家予算の3パーセント水準にまで大幅に低下してから、農業の水利化、機械化、化学化、電化の水準はますます退歩し、農村は物質的・技術的に甚だしく弱体化しました。
 国家的に莫大な量のセメントと鋼材を投入して基本的に完成していた全国的な灌漑システムは正常な補修・整備をしなかったので老朽化し、農業機械の生産が急激に減退して慢性的な農業機械の不足を招き、化学肥料の供給量は1980年代に比べて2000年代に3分の1以下に減少し、農村地域の多くの電力設備が破損・紛失されました。
 このように1990年代中頃から農業部門の物質的土台が弱体化しましたが、このような状況を逆転させるための根本的な対策は立てず、対象建設に不足する資金や資材を農場からしきりに取り立てた結果、農村はさらに零落し、しまいには工業が農業を助けるのではなく、むしろ農業が工業を支援するという言葉まで出るようになりました。
 正しい国家的対策が講じられていない悪影響は、農村の様相でも如実に現れました。
 1970年代と80年代には各市・郡に農村建設隊が、中央には農村住宅建設総局が組織されて農村住宅の建設を国家的な事業として本格的に進めましたが、次第にこの活動が市・郡または農場自体で低調に行われ、それさえまともな設計もなく、1世帯当たりセメントの供給量が4~5トンしかならないため、住宅建設に土レンガや野地板などの地元の資材を多く利用しなければならなくなりました。
 農村の里病院、診療所を立派に整備し、医療機器や備品を整えることも国家的な事業として統一的に行われず、当該の農場に放任したため、これといった里病院、診療所が見当たらず、農村にまともな理髪所、浴場などの便益サービス施設や科学技術普及拠点もないので、農場員は知識と文明から遠く取り残され、はては文化活動は都市で行うものと考えるようになりました。
 持続する農村の後進性によって、農場員の生活水準は電球一つを買うのも困難なほどに極めて零落し、意識状態でも変化が生じて、農村に愛着を感じていない人々が他の部門に移っていく傾向、農業技術者、専門家の数が減少する傾向がひどく現れて全般的に農村基盤が衰退しましたが、国家機関と農村の党組織、幹部は農業生産の一面に偏重する近視眼的な態度をとりながら腕をこまぬいていました。
 毎年農村の強化について多くを語り、それに関する文書も数多く作り出しましたが、中央の農業指導機関が国の全般的な農業発展に対する展望的な研究と技術発展を掌握して指導する本来の機能と役割さえも正しく遂行できなかった事実は、現実とかけ離れた中身のないうわべ飾りによっては遠大な目的を達成することができないということを実証しました。
 新時代の農村革命綱領は農村問題を最終的に解決し、社会主義の完全な勝利を一日も早く成し遂げるための進路をはっきり示しています。
 2021年12月に招集された党中央委員会第8期第4回総会で新時代の農村革命綱領が提示されたあと、国の農業を確固たる上昇段階に引き上げ、社会主義農村の飛躍的な発展のための闘争が国あげての事業として力強く展開されて、短期間に意味のある成果が達成されています。
 中でも最も貴重な成果は、農業勤労者が農村の変貌を実感しており、穀物生産構造を変えるという党政策の生命力を実際に体験しながら自分の力で自分の故郷、自分の村を改善することができるという確信を持つようになったことです。
 わずか1、2年の間にこのような意識変化が起きはじめたのは一つの革命であり、農村革命綱領の遂行で一段階上がった成果であり、それは今後のより速い変化と改善を見通すことのできる最も決定的な要因となります。
 しかし、今までの闘争の道程を厳密に分析してみると、早急に是正すべき問題も少なくありません。
 農業勤労者を農村革命の担当者、主人に準備させる上でも、農業生産を成長させる上でも、農民が営農に意欲を持って取り組むようにするのが重要な問題として提起されます。
 ところが、農村で党政策に反して農民の利益を侵害する傾向が引き続き現れて農業勤労者の生産意欲を落としています。
 さまざまな建設と政策課題の遂行を名目に農民の分配量をためらうことなく減らす傾向がなくなっておらず、結果的に少なからぬ農業勤労者の中で深刻な意見が出されていますが、このような状況の下で党の思想を農民にどう伝え、彼らに愛国心を発揮せよと言えるでしょうか。
 農業部門の幹部と農村党組織は、農業勤労者の思想意識を改造すると口先で言うのではなく、実際に農民が農業を立派に営めば国が栄え、自分自身も豊かになるという確固たる認識を持つよう作業日の評価や分配を正しく行い、司法・検察機関は農民の利益を侵害するあらゆる不法行為を根絶するための決定的な対策を講じるべきです。
 わが党と政府は農業の物質的・技術的土台を強化し、農業発展で実質的な結果を得るために、条件と環境が困難な中でも灌漑システムを整備・補強し、近代的かつ能率的な農業機械、化学肥料などの営農物資を農村に送るための事業を非常に重視し、優先的に推し進めています。
 その一環として、新時代の農村革命綱領が提示されたあと、数多くの農業機械が農村に供給されましたが、実際その利用率は高くありませんでした。
 昨年、民需工業企業所が生産して農村に供給した少なからぬ農業機械は性能が低く、故障が多くて作業に満足に利用されませんでしたが、このような問題を正しく解決しなければ、国家がいくら多額の投資をしても農村をしっかり助けることができず、底抜けがめに水を注ぐようなことになるでしょう。
 農業機械製作単位と関連研究機関は、農業機械の質を高めるための闘争を引き続き力強く繰り広げ、わが国農村の実情に合う効率的な農業機械を積極的に開発・導入し、その品質検証をより厳格に行って、農民の仕事を実質的に助け、農業生産に役立つ農業機械を農村に提供しなければなりません。
 農村の様相と環境を改善する活動は、農村革命綱領の重要な課題であり、現在、その実行のための農村住宅建設が全国的規模で力強く展開されています。
 社会主義農村文明を誇る新たな農村住宅区が次々と立ち上がって農業勤労者に文化的な環境を提供し、地方が変わる新たな様相を繰り広げており、これを見て、農村住民はもちろん、全国の人民が喜び、わが党の農村建設政策を積極的に支持しています。
 ところが、一部では重要な政治的事業である農村住宅建設を一夜作りに行って、人々に党政策に対する誤った認識を与え、農村革命綱領の実現に弊害を及ぼす傾向が現れています。
 新たに建設された農村住宅の中には、外見は見栄えがしても内部の仕上げ工事を粗末にした住宅もあれば、目によく付かない配電工事や暖房工事をおざなりにして、入居した住民が改め直さなければならなくしたり、屋根工事の工法を守らなかったので雨漏れのする家もあるとのことです。
 今後もこのような傾向が蔓延すると、党と国家が重大な決断を下して市・郡に毎年1万トンのセメントを供給する意味がなくなるのは言うまでもなく、人々が党の路線と政策に対して懐疑の念を抱く深刻な政治的問題まで生まれる恐れがあります。
 市・郡の責任幹部と農村住宅建設に関与している全ての幹部は、自分の活動に対して厳正に検討し、このような弊害が再び現れないように革命的な対策を講じるべきです。
 農村革命綱領実現の最初の段階で現れているこれらの偏向を些細なことから正さなければ、いかに偉大な革命綱領であるとしても、またもや歴史の記録にしか残らなくなるでしょう。
 われわれは、全面的発展の壮大な偉業を開拓する闘争の一歩一歩を責任を持って狂いなく踏み出しながら、時代と革命から与えられた聖なる任務をあくまで完遂しなければなりません。
 わが党の全面的発展理念を実現する上で、地方発展政策と農村革命綱領は有機的に結ばれています。
 地方工業工場に必要な原料を十分に提供し、農村住民の購買力を高めることをはじめ、新時代の地方発展政策が持続的に相応の生命力を発揮できるようにする上で提起される問題を解決するためには、必ず農村革命綱領と並行して実行されなければならないし、農村が革命的に改善されてこそ地方が変革されることができます。
 われわれは空理空論に明け暮れていた誤った慣行を踏襲しないでしょう。
 今われわれが推し進めている活動は、以前、チャンソン連席会議と農村テーゼで提示された課題実行で嘘をついても無難であったときとは本質的に異なります。
 新時代の地方発展政策と農村革命綱領には、社会主義の全面的発展期に相応したわが党の地方発展構想と共に、過去の教訓を全面的に分析した上で革命的で科学的な実践的方途が明示されており、不透明で不可能なこと、非現実的で非実利的なことが存在していません。
 地方発展政策と農村革命綱領の実行を党中央委員会が直接掌握して作戦・指揮し、国家が全的に担当して全ての条件を優先的に保障しながら党と国家あげての活動として力強く推し進めています。
 これと同時に、市・郡で自らの資金確保能力を培うことができるように、必要な経済実務的対策を講じるための活動が全国的規模で進められています。
 党政策を固く信じる信念と確信を持ち、提示された政策的課題をどれ一つも狂いなく、完全無欠に実行すれば、必ず確実で満足した結果が得られるでしょう。
 要は、条件の如何をとわず、毎年無条件に明確な実体を出さなければならないということです。
 与えられた条件にこだわらず、屈することのない完璧な実践をもって理想を現実化するのは、全面的発展という力に余る壮大な革命任務を進んで担ったわれわれ革命家の聖なる使命であり、闘争気概です。
 同志の皆さん!
 年が経つたびに20の市・郡が変わる偉大な年代は、必ず無条件に引き継がれなければなりません。
 われわれは、可視的な成果よりも教訓と展望を一層重視しながら前進の歩みをより大きく、より正確に踏み出さなければなりません。
 この場を借りて、地方発展政策実行の新年度活動で目的した通りの確実な結果を得るための幾つかの問題について強調したいと思います。
 地方発展政策実行のための建設事業を革命的に推し進めなければなりません。
 すでに闡明されたように、わが党は地方発展の効率性を抜本的に高め、全国の人民に持続的に向上する物質・文化生活を提供するために、地方工業工場の建設と共に保健医療施設と複合型文化中心、穀物管理施設などの3大必須対象の建設をさらに追加して行うことにしました。
 現在、全国の市・郡で教育施設を新たに建設したり改築する活動が行われていることに加えて、この三つの対象まで建設されれば、地方の全ての地域が軽工業土台だけでなく近代的な文明と技術に依拠する持続的な発展環境を整え、人民により改善された生活を提供するようになり、さらには科学、教育、保健医療の進歩を中核原動力とする国家の全面的発展綱領を実現する上で大きな前進をもたらすようになるでしょう。
 地方の人民が近代的で文化的な住宅で豊かな暮らしをするからといって、地方の後進性と農村の後進性がひとりでに消え去るのではありません。
 思想を改造し、知識を伝授して彼らの認識領域に改善をもたらさなければなりません。
 地方を振興させ、農村を都市化するということは、単に建築美学的な側面だけを意味するのではありません。
 われわれの志向する農村の近代化、文明化は、都市の水準に追いつく農村勢力の先進化、労働者階級化を実現し、技術革命の成果を速やかに収めることに主たる目的があります。
 これはわが党の市・郡強化路線にも合致し、堅固な政治的・思想的土台の上で科学技術によって発展し、先進文明によって開花する国家を建設しようとするわれわれの理念とも一致します。
 今推し進めている活動だけでも力に余ると言えるでしょうが、われわれは新たな闘争にためらうことなく身を挺して、地方発展政策実行の突破口とも言える建設事業で必ず完璧な結果を得なければなりません。
 新年度の建設事業における最も重要な問題は、建築物の質を徹底的に保障することです。
 われわれが進めている地方建設は宣伝のための建設になってはならず、その対象が立ち上がれば、実際に全国が変わり、地域の住民がそのおかげをこうむるようにすべきです。
 今年、一部の建設対象で競争心と焦燥に駆られて質の指標を無視した結果、工程全般を遅らせ、混乱を引き起こした偏向を是正しながら、われわれは質と速度に対する定義を改めました。
 建設では速度より質が優先であり、質の向上が生命です。
 われわれの理想と奉仕精神、奮闘の痕跡が全て完璧な質によって発現されなければなりません。
 地方建設の真意を貫徹しようとしても、当該年度の課題を計画通り適時に完遂しようとしても、必ず質が優先視されなければなりません。
 建設を直接担当・遂行する各級建設連隊と関連単位は、一人の技能工が年に数名の技能工を育成する大衆運動と建設装備の近代化、標準化、規格化、そして建設監督活動の根本的な改善を質の向上のキーポイントとしてとらえていくべきです。
 建設の全ての工程において徹底的に専門性を重視し、科学性に依拠して実利を保障すべきです。
 今年の地方工業工場の建設過程で得た教訓と経験は、主観主義的かつ非現実的な思考と判断がわれわれの前進を阻害する主たる因子になることを示しました。
 建設の準備段階から建築家と当該分野の専門家、運営単位の幹部間の協議・提携を強めて不合理な要素を取り除き、最適化・最良化された科学的な方案を提示すべきです。
 特に設計部門では、来年度の地方建設に関する各種の設計を建物と設備の用途と機能的特性に全面的に合致しながらも、法律的基準に合わせて効率的かつ正確に完成することにあくまで熟慮し、責任を果たすべきです。
 工事日程と設備の組立工程も絶対にある一個人の主観や意見に従って定めず、集団的に協議した上で、工法に徹底的に合致し、最も合理的なものになるようにすべきです。
 設備と資材、建材品を国産化するための闘争を力強く展開しなければなりません。
 地方発展は、徹底的に自生、自立の土台に基づかなければならず、その原理はまず地方建設に具現されなければなりません。
 今後、客観的条件にこだわらず地方建設を思い通りに推進し、地方工業工場を円滑に稼働させるためには、なんとしても自力で良質の設備と資材、建材品を生産・供給しなければなりません。
 来年は、毎年地方工業工場に必要な設備を確かめ、総合的に生産する工場を建設する計画です。
 そうすれば設備の製作で速度と質も保障し、国産化の比重も高まるでしょう。
 このような方法で自分の近代的な香料工業、色素工業を創設することをはじめ関連部門に生命力のある発展した産業を新しく誕生させるための積極的な努力を傾けて、われわれの力で地方工業発展の安全かつ強固な土台を築くべきです。
 これとともに、建材生産単位で仕上げ建材をはじめとする建材品の質を高め、品目を増やすための闘争を力強く展開して、地方建設の成果を確固と保証すべきです。
 立ち後れた地域から建設を行う原則を守るべきです。
 地方を物質的・文化的に改善する上でわが党の意図は、もとより辺鄙な山奥に位置し、人民生活が一番困難な市・郡から盛り立てようということです。
 もちろん、今の建設陣容が展開されている市・郡の隣接地域や条件のよい地域に対象地を移せば、建設そのものはたやすくすることができますが、わが党の政策には合致しません。
 同じ家族でも一番栄養に欠けている子どもによい食べ物を先に食べさせるのと同様に、生活状況の困難な地域の人民を先に援助し、恩恵を施すべきです。
 原料条件が不足し、運営条件が不利であれば国家的な支援を増やしてでも国で最も立ち後れ、やせた地方から近代的な地方工業工場と文化・保健医療施設を建てるべきです。
 新設された地方工業工場の運営を正常化するための活動を強く推し進めなければなりません。
 すでに再三強調したことですが、地方工業工場の運営正常化は地方発展政策実行の成敗を決定する要の問題です。
 わが党と人民が一意専心してきた偉大な革命事業は、新年度から地方工業工場の運営によって実際に生命力を発揚するようになります。
 今、国家的に新しい地方工業工場に対する必須原料の保障対策が実行されており、中央の教員、研究士と首都の工場や企業の高級技能工が各市・郡に派遣されて工場の初の運営を共に行うようにする活動が進められています。
 各市・郡は、新たに建設した工場で試験生産を行いながら技術上の問題を専門家と協議して十分に解決し、試作品の品質を厳格に検証して、全ての指標が保証されるときに製品を出荷させなければなりません。
 非常設推進委員会と関連部門では、市・郡で行う原料基地の造成を厳しく総括して積極的に後押しし、原料基地の造成の可能性が薄い市・郡に原料を提供するための現実性のある計画を立て、地方工業工場の建設に先行させて実行するようにすべきです。
 やがて新設された地方工業工場で生産を正常化し、郡内住民の需要を円滑に満たすことができるか否かは、全的に市・郡の責任幹部の水準にかかわっています。
 各市・郡党責任書記は象徴物としてのみ建っている工場はわが党にも、わが人民にも不必要であることを銘記し、すでに工場の運営に関連して政策的に提示された課題を責任を持って実行することによって、地方工業工場が初の運営から地域人民の生活向上の強固な砦、充実した土台として確固と位置づけるようにすべきです。
 特に、地方工業発展の最も必須的かつ戦略的な資源である人材を育成できなければ、人民の前に手ぶらで立つしかないということを肝に銘じ、中核技術者を育て上げ、技能工の陣容を増やすことに本格的に取り組むべきです。
 ここソンチョン郡をみても、わが国の有名なタバコ産地であり、古くから絹と甘栗で有名な地方ですが、地元固有の顔と潜在力を活かし、交通上の有利な点に基づいてピリュ川沿岸とソンチョン温泉をはじめとする文化観光資源もよく開発・利用すれば、地方工業工場の運営に必要な資金確保の可能性も大きくなるでしょう。
 他の市・郡でもそれぞれの地域特色の経済的資源と潜在力を極力効果的に開発・利用するための積極的な努力を傾け、自らの経済発展空間を引き続き拡大しなければなりません。
 関連単位では電力供給などの実行力のある保証的措置を伴わせ、地方工業工場のフル稼働のためのあらゆる条件を整えるべきです。
 同志の皆さん!
 新時代には中央が地方を羨むようにし、地方の振興がわが国家の前進と発展を代表するようにし、地方の理想的な様相が朝鮮式社会主義の真の姿となるようにしようというのがわが党の構想です。
 わが党は、歴史的な新時代の地方発展政策と農村革命綱領を100年後にも人民がそのおかげをこうむることができるようにさらに拡大・深化させるであろうし、地方の一つでもより立派に改善することに一層果敢に取り組むでしょう。
 わが党の全ての名誉と誇りは人民の限りない福祉にあります。
 「人民に奉仕する!」「全てを人民の生活向上のために!」というスローガンは、朝鮮労働党の本性として、不変の任務として永遠に不滅でしょう。
 人民軍指揮メンバーと各級建設連隊の将兵の皆さん!
 来年も全国各地の20の市・郡にわが軍の誇るべき足跡は確実に印されるであろうと確信します。
 わが党は、皆さんをただ建設労働力ではなく、建国以来初めての歴史的偉業遂行の前衛部隊と見なしており、この建設過程で皆さんが党政策の堅実な擁護者、代弁者になり、いつ、どんな課題を与えても完璧に果たす変革の創造者、幸福の守護者に成長することを望んでいます。
 私は、皆さんが時代の名誉をかけて、わが軍の名誉をかけて一層勇敢に闘って新しい地方建設成果を相次いで上げることによって、祖国と人民の貴い信頼に必ず応えることを望みます。
 英雄的なわが将兵の偉勲はこの地のどこにも印され、人民の福祉として末永く輝くでしょう。
 党と政府の指導幹部と地方党・行政・経済機関の幹部の皆さん!
 地方の変革はこの上なく神聖な正義の偉業であり、この偉大な革命事業に一身をささげることは大きな誇りであり、栄誉でもあります。
 歴史がこれを促し、人民が期待しています。
 愛するわが次世代、わが人民が様変わりした故郷、栄える地方で文明・裕福な生活を営むその日の到来を早めるために一層勇敢に奮闘していきましょう。
 ソンチョン郡の住民の皆さんの平安と幸福を祈ります。