侵略戦争の生贄に
20世紀、朝鮮を占領した日本帝国主義者は大陸への侵略戦争を拡大する一方、朝鮮を兵站基地に変え、朝鮮の人的、物的資源を侵略戦争に総動員しました。分けても、朝鮮の少年たちに植民地奴隷教育を与えて戦争の騨除けにするため手の限りを尽くしました。
「普通学校令」「私立学校令」などを公布し実施して、奴隷の屈従思想だけを吹き込むために躍起になった日帝は、朝鮮の少年たちを侵略戦争の手先にするため、1941年3月31日、「国民学校規定」なるものを公布しました。中央階級的教育館の解説係であるチェ・ギョンミさんは、7章92カ条からなるこの悪法は、「国民学校令」をさらに具体化したものだとし、その詳細についてこう語りました。
「日帝は『国民学校規定』を通じて、従来の科目を勝手に統合し、大幅に減らしました。また、その内容も生徒に軍国主義精神と奴隷の服従意識の注入で徹底させました。
そればかりか、軍事訓練で一貫した『体練課目』に重要な意義を付与し、『武道』や『体操』などを教えるようにしました。
そして、太平洋戦争と日中戦争が熾烈を極めた1943年からは国民学校に軍隊の『教練』まで正式の課目に含めました。つまり、全科目の軍事化を図ったのです。
当時、日帝は、幼い国民学校の生徒に銃を担がせ、行進や射撃などの軍事教練を実施し、毎日、午後には集団的騎馬戦の訓練までさせました」

子供にまで「皇国臣民の誓詞」を強要

弾除けにされた朝鮮の少年たち

少年陸上自衛隊
このように日帝は、「国民学校規定」を公布して、朝鮮人民に幼い時から侵略戦争の生贄の運命を強要しました。
日帝が朝鮮人民を永遠の植民地奴隷にするために働いた万古の罪は絶対許せないものです。
日帝が朝鮮人民を永遠の植民地奴隷にするために働いた万古の罪は絶対許せないものです。