暖かい祖国があって
その時、朝鮮人民は生きるすべを求めて、海外へと流浪の道に立ち、不遇なその行列の中で最悪の境遇にあったのが他ならぬ在日朝鮮人でした。
1955年5月25日、愛国的な海外同胞組織である総聯・在日本朝鮮人総聯合会が結成されました。
総聯の結成は在日朝鮮人運動と在日同胞の運命の開拓で抜本からの転機を開き、朝鮮の海外同胞運動と世界の海外同胞運動の発展に新たな活力を与えました。
海外同胞事業局のキム・ヒョソン部長に言わせますと、海外朝鮮人は遠く離れた異国に住んでいても常に祖国の暖かい愛を肌で感じているとのことでした。
キム部長はこう続けました。
「昔から海外同胞は民族と言う大河から弾き出された水滴になぞらえました。
しかし、共和国では海外朝鮮人を、あらゆる苦難の中でも愛国の一路を継いで行く異国の頼もしい同じ家族と見なし、家を離れた子のために夜も眠れない母親の思いでいつも関心を向けています。
とりわけ、日本にいる同胞たちが朝鮮の精神、民族の魂を身に付けた朝鮮民族の一員として剛直に、堂々と生きるよう勇気付けてやり、その子女たちの民主主義的民族教育のために莫大な教育援助費と奨学金を送っています。
1957年から始まった教育援助費と奨学金は今まで171回にかけて499億8859万円以上に達します」

海外同胞事業局のキム・ユンヒさんは、芸術団のメンバーが
「私が案内役を勤めながら経験したことですが、在日朝鮮学生少年芸術団のメンバーは10代始めの幼い子としか思っていませんでしたが、祖国に来て大きく成長したというのがその言葉と行動を通じてよく分かりました。
迎春公演を準備する過程はその子たちの才能を伸ばす過程となり、祖国に滞在した50数日間、各所を見て祖国についてよりよく知ったとのことです。
新年を迎える同胞の子女たちを祝ってあげ、一緒に写真まで撮ってくれた父親そのままの優しい思い、
在日同胞の子女たちを暖かく抱いてくれた祖国はまさに
その許で朝鮮の海外同胞たちは愛国の代をしっかり引き継いでいます。