朝鮮労働党の創立者

チュチェの革命的な党
朝鮮労働党は人民の運命の責任を担って導いている指導的政治組織であり、朝鮮人民のすべての勝利の組織者、導き手です。
革命の道に立った時から党の建設を革命の根本の問題と見なした金日成主席 は、従来の党創立の一般方式とは全く異なる道を選び、その実現のための闘争を正しく導きました。
朝鮮革命博物館の解説係であるペク・ジンヒャンさんは、労働者階級の党創立偉業は、様々な社会的・歴史的条件と革命発展の段階にある国々で互いに異なる様相を帯び、色々な方式で展開されたと言って、こう続けました。
「人民大衆の自主性を実現するための闘争で革命の参謀部である労働者階級の党の建設偉業を成功裏に実現するのは、国と民族の運命を左右する重要な問題でした。
主席 が示した独創的な党創立の原則は自主性の原則であり、その理念はチュチェ型の革命的党でした。
そして党創立の方式は、党創立の組織的・思想的基礎をしっかり固め、まず基層党組織を設け、それを踏まえて党を拡大し、強化する方法で党を創立することでした」
金日成主席 は、1930年7月、卡倫というところで新しい世代の青年共産主義者で初の党組織である建設同志社を結成し、それを母体として基層党組織を拡大・強化し、中核を多く育成して党創立の組織的根幹をつくりました。
そして抗日革命闘争の全期間、各階層の広範な大衆を意識化・組織化して反日闘争の旗印の下に固く結集させることで、新しいタイプの革命的党を創立するための大衆的基盤を固めました。
主席 は、1945年8月、解放された国で労働者階級の党を創立するための活動を正しく導きました。
主席 は抗日革命闘争の時に鍛えられ、育成された抗日革命家と国内外で活動していた革命家を網羅して、統一的な党を創立するという方針を示しました。そして抗日革命家を各地方に派遣して、すでにあった党組織は整備・強化し、党組織のない所では、新しい党組織を設けるようにしました。
このような準備を踏まえて金日成主席 は、1945年10月5日、党創立のための予備会議を開き、10月10日には歴史的な党創立大会を開いて、チュチェの革命的党の創立を世界に宣言しました。
朝鮮労働党の創立と共に朝鮮人民は、自分の頼もしい前衛部隊、戦闘的参謀部を持って自分の運命を切り開き、この時から自主の時代の革命的な党創立の新しい歴史が始まりました。
革命の道に立った時から党の建設を革命の根本の問題と見なした
朝鮮革命博物館の解説係であるペク・ジンヒャンさんは、労働者階級の党創立偉業は、様々な社会的・歴史的条件と革命発展の段階にある国々で互いに異なる様相を帯び、色々な方式で展開されたと言って、こう続けました。
「人民大衆の自主性を実現するための闘争で革命の参謀部である労働者階級の党の建設偉業を成功裏に実現するのは、国と民族の運命を左右する重要な問題でした。
そして党創立の方式は、党創立の組織的・思想的基礎をしっかり固め、まず基層党組織を設け、それを踏まえて党を拡大し、強化する方法で党を創立することでした」
そして抗日革命闘争の全期間、各階層の広範な大衆を意識化・組織化して反日闘争の旗印の下に固く結集させることで、新しいタイプの革命的党を創立するための大衆的基盤を固めました。
このような準備を踏まえて
朝鮮労働党の創立と共に朝鮮人民は、自分の頼もしい前衛部隊、戦闘的参謀部を持って自分の運命を切り開き、この時から自主の時代の革命的な党創立の新しい歴史が始まりました。
朝鮮労働党のマーク
ハンマーと鎌、筆が描かれている朝鮮労働党のマークは、労働者階級と農民、知識人を表します。そしてハンマーと鎌、筆を一つの点でクロスさせたのは、勤労人民大衆の統一団結を意味します。
金日成主席 の格別の関心と細やかな指導によって朝鮮労働党のマークが完成しました。
1946年7月、主席 は党のマークの草案を見て、朝鮮労働党のマークには必ず労働者階級と農民、知識人が共に表されるべきだ、そうしてのみ勤労人民大衆の統一的な党ということを象徴的に見せることができる、と言いました。
そして労働者階級はハンマーで、農民は鎌で、知識人はペンで表すことができるが、朝鮮式に筆で表した方が良いと教えました。
朝鮮労働党のマークに知識人を象徴する筆を印す問題が提起された時、人々の中で議論が戦われました。当時一部の人は、知識人は独自の階級ではなく、社会の中間階層だ、動揺しがちな階層なのでマークに筆を表してはならないと主張しました。
このような時、主席 は、もちろん知識人が独自の階級ではなく社会の階層なのは確かだ、しかし銃がなければ国を守ることができないのと同じく、知識人がいなければ国を建設することができない、必ずマークに筆を表すべきだと言いました。
その後も主席 は、何度も改作されたマークの図案を見て、ハンマーと鎌、筆の位置まで定め、真ん中に置かれる筆はハンマーや鎌より少し上に置くべきだ、それは、これから労働者も農民も誰もが高い水準の知識と文化を身につけ、富強で文化的な自主独立国の建設に精一杯寄与すべきだということを意味していると教えました。
勤労する人民の姿が表された朝鮮労働党のマークは、こうして生まれたのです。
1946年7月、
そして労働者階級はハンマーで、農民は鎌で、知識人はペンで表すことができるが、朝鮮式に筆で表した方が良いと教えました。
朝鮮労働党のマークに知識人を象徴する筆を印す問題が提起された時、人々の中で議論が戦われました。当時一部の人は、知識人は独自の階級ではなく、社会の中間階層だ、動揺しがちな階層なのでマークに筆を表してはならないと主張しました。
このような時、
その後も
勤労する人民の姿が表された朝鮮労働党のマークは、こうして生まれたのです。