人民生活の向上のために
偉大な金正日国防委員長は、国の繁栄と人民の幸せのため一生涯を尽くした不世出の偉人です。
金正日国防委員長は、人民の幸せの中に自分の喜びと生き甲斐があるとし、人民生活の向上のために心血を注ぎ、労苦の限りを尽くしました。
人民生活の向上のための貴い指針
1984年2月16日のことです。この日は、金正日国防委員長の生誕42周年になる意義深い日でした。
この日、金正日国防委員長は今日だけでも休んでほしいと言う幹部たちに、やることが多いので休むことができないとし、今日の協議会では人民生活を一段階向上させるための対策を協議しようとする、と言いました。
金正日国防委員長は、人民生活を絶えず向上させるのは朝鮮労働党の活動の最高原則だ、朝鮮労働党にとって経済建設に力を入れて人民生活を向上させることより重要な課題はなく、一日も早く人民生活を向上させようというのは朝鮮労働党の揺るぎない決心だ、と強調しました。
そして、人民生活を向上させるためには農業に力を入れ、水産業を一層発展させると共に都市と農村に住宅を多く建設すべきだとし、その実現のための課題を一つ一つ示しました。
特に、軽工業革命を起こすべきだとし、軽工業革命を起こして様々な良質の一般消費財を多く生産して始めて人民に潤いのある文化的な生活を提供することができる、と言いました。
続いて、一般消費財の生産に転換をもたらすための課題と方途を具体的に示しました。
人民生活のことで気苦労が絶えない国防委員長なので意義深い生誕日にも休まず、人民生活の向上のための綱領となる指針を示したのです。
金正日国防委員長はこの日だけでなく、「人民生活を画期的に高めるのは今日、わが党が示した最も重要な革命課題である」「母親の心情で責任を持って人民生活を見守るべきである」など不朽の著作を発表して人民生活の向上のための貴い指針を与えました。
ひたすら人民生活の向上のために
金正日国防委員長は常に人民生活の向上のために心を砕き、労苦の限りを尽くしました。
ピョンヤン製パン、製菓工場の主任技師であるリ・ソンヒョクさんに言わせますと、2010年1月23日、金正日国防委員長は真冬の寒さをものともせず、工場を訪れたとのことでした。
「この日、ピョンヤン製パン、製菓工場を訪れた金正日国防委員長は3階のビスケット職場も見ました。
当時、思いがけない事情でエレベーターが稼動できなくなりましたが、金正日国防委員長は歩いてでも上がって見ようと言って、急勾配の階段を上がりました。
現場に着いた国防委員長は成形されて出るビスケットの流れを詳しく見て、味見もしました。
国防委員長は工場の生産工程の近代化と科学化を最短期間内に実現し、製品の衛生安全性を徹底させるべきだ、と懇ろに教えました」
人民と子供たちに美味しく栄養価の高い色々な食品をより多く送ろうと、労苦もいとわなかった国防委員長でした。
金正日国防委員長は人民の食・衣・住の問題解決のため現地指導の道を歩み続けました。
朝鮮西海のピダン島は、雨の日にもここを訪れ、葦の生産を正常化して人民の衣料問題を解決し、島の住民の生活を向上させる方途を一つ一つ教えた金正日国防委員長の労苦を今に伝えています。
2月8日ビナロン連合企業所の労働者は、三伏の暑さもものともせずここを訪れ、生産現場を見て、企業所の改築・近代化のための実践上の方途を具体的に教え、短期間に近代化された企業所を再び訪れ、量産されるビナロンを見て喜んだ国防委員長の優しい姿を忘れずにいます。
朝鮮東海岸の水産事業所にも、人民に年中、新鮮な魚を食べさせるため近代的な設備を揃えた企業所を建設するようにし、ここを訪れて自ら冷凍貯蔵室にまで入って製品の運搬作業を機械化することについて教えた国防委員長の労苦が秘められています。
あぜ道を歩いて農業を立派に営むための方法を教え、雪の日にも養鶏工場を訪れて科学的な飼養方法を教えました。そして、生涯を閉じる前にもピョンヤン市民に魚を供給するためすべてを尽くした国防委員長でした。
人民生活の向上のため一生涯を尽くした金正日国防委員長の心の中には人民と言う二文字だけが秘められていました。