党の歴史に輝く新時代
新しいピョンヤン繁栄期
「朝鮮の声」は近年、首都ピョンヤンが新しい繁栄期を迎え、壮大華麗に変貌するというニュースを相次いで伝えました。
ピョンヤンは人民の利益と福祉を第一として移り変わりました。
朝鮮労働党第8回大会以後、ピョンヤンには2022年から毎年、新しい通りが建てられました。2022年にソンファ通りとポトン川の岸辺の段々式住宅エリアが、2023年にファソン通りとテピョン地区住宅群が、2024年にリムフン通りとチョンウィ通り、2025年にはファソン地区第3段階の1万世帯の住宅が竣工しました。
これらの住宅には人民の要求と志向がそのまま反映されています。
毎年、4月ともなりますと、ピョンヤンは決まって新居入りの季節を迎え、人民は喜びに溢れていました。
ソグ公共施設建設事業所のチョ・チャンイル課長に言わせますと、チョ課長は毎年、ピョンヤン市の5万世帯の住宅建設に参加したとのことでした。
「毎年、1万世帯ずつ建てられましたが、初年度に既にうちの事業所の多くの労働者がソンファ通りの住宅をもらいました。労働党の政策が良く、
新しいピョンヤン繁栄期は、全くもって


2021年3月、ピョンヤン市1万世帯の住宅建設の起工式に出席した
また、毎年、住宅の竣工式に出席してテープカットをし、幸せに酔いしれる人民の姿を見て、より良い未来を早める意志を固めました。


地方中興の新たな歴史
今、朝鮮では国家発展と社会生活のすべての部門、すべての分野を包括する広い領域で首都だけでなく、地方も急進的に変化し続ける地方中興の新たな歴史が開かれました。これは、朝鮮労働党の歴史に特記すべき驚異的な出来事です。社会科学院の主任であるリ・ヨンチョル博士は、朝鮮労働党は全面的な国家興隆という独特な国家建設の戦略を示したとし、こう言いました。
「
地方中興、これは困難きわまる膨大な課題なので、古今東西のどの党も国家建設の戦略に明記できなかった歴史的な課題です。
人類史に、地方と農村という言葉が生まれて以来、それは常に貧困と立ち遅れの代名詞となり、首都と地方の差、都市に比べた農村の後進性は強い経済力を持つ国々でも出来ないこと、解決の見通しがない難問でした。
朝鮮労働党は、農村の世紀に渡る立ち遅れ、地方の後進性を一日も早くなくして、人民のみなが豊かで文化的な生活を営むようにするのを最大の宿願と見なしています。それで、今のように困難な時に地方中興という大業を必ず決行する大勇断を下したのです」
朝鮮労働党は、2021年12月に行われた党中央委員会第8期第4回総会で新時代の農村革命の綱領を示しました。

2024年1月に行われた朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第10回会議では、朝鮮労働党の「地方発展20×10政策」が闡明されました。
朝鮮労働党は10年内に近代的な地方工業工場を毎年、20の市・郡ずつ建てると共に近代的な保健医療施設、総合奉仕施設、穀物管理施設のような3大必須対象まで並行して建設するという地方発展政策を打ち出し、力強く推し進めています。


社会科学院の研究士であるハン・ギョンリム博士は、
「昨年8月、
人民みなにより大きな幸せをもたらすための





20の市・郡に新時代の地方発展政策の初の実体として地方工業工場が建てられ、地元の原料で作った食品と各種の日用品、アパレル製品が人民の生活にそのまま届いています。
東海岸に浅海養殖事業所と海岸観光地区が立派につくられて朝鮮式の新しい文明を誇り、国の至る所に新たな住宅が引続き建てられています。
昨年は、自然災害に見舞われた国の西北端に農村文化都市の新しい姿が現れ、今はシンイジュ温室総合農場が建てられています。
史上初めての山岳峡谷都市に変わったコムドク地区でも人民の喜びが満ち溢れています。
朝鮮労働党が開いた新時代、全面的な国家興隆の5年間は、首都と地方が同時に変わり、より美しい未来を裏付ける驚くべき出来事で綴られた誇り高い道程でした。