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339高地の肉弾勇士たち
 偉大な金日成主席の指導の下に、朝鮮人民軍は1950年から1953年までの祖国解放戦争で世界「最強」を誇っていたアメリカ帝国主義者の武力侵攻を退けて勝利しました。
 その日が7月27日です。
 戦争での勝利の日を迎えるたびに、朝鮮人民は高価な犠牲で、国と人民の運命を守った偉大な年代の勝利者たちに崇高な敬意を表しています。



 苛烈を極めた祖国解放戦争の時の数々の戦闘の中には、戦勝の日をわずか10日前に控えて行なわれた339高地の攻撃戦闘もあります。
 1953年7月17日、近衛ソウル第3歩兵師団に339高地を占領せよとの命令が下りました。
 攻撃戦闘の前に行なわれた会議では、近衛師団の栄誉をあくまで守り、弾薬が切れれば肉弾となって敵のトーチカを塞ぐことを決定しました。
 この日の戦闘で、師団直属工兵大隊の隊員であるキム・ビョンモさんは敵軍の銃眼をわが身で塞いで壮烈な最期を遂げました。



 祖国解放戦争勝利記念館の解説係であるキム・ギョンヒさんに言わせますと、当時の戦闘で発揮したキム・ビョンモさんの犠牲精神は今も多くの参観者の胸を強く打っているとのことでした。
 「1953年7月17日、戦闘が行われる時、敵軍のトーチカによって攻撃が頓挫すると、キム・ビョンモさんはためらわずに敵軍の銃眼をわが身で塞いで部隊の進撃路を開きました。
 享年32歳でした。
 勝利したこの地で営むはずの幸福を最後の10日間と切り替えて戦勝の踏み石となったわけです」
 この日の戦闘でチェ・チャンハクさんとリ・ジョンウクさん、チャン・リョンインさんも敵軍の銃眼を塞いで戦闘の勝利に寄与しました。
 敵軍の銃眼をわが身で塞いで部隊の進撃路を開いた肉弾勇士たちの写真は祖国解放戦争勝利記念館の共和国英雄ホールに展示されています。
 祖国に立てた誓いを守ってためらわずに命を捧げた英雄の姿は、勝利がいかに高価なもので、また祖国がいかに貴重なものかを、新しい世代の胸に改めて深く刻みつけています。