森林資源をことごとく略奪しようとした日帝の罪
日帝は朝鮮占領後、アムノク川とトゥマン川地域の森林を朝鮮と日本の合同経営で伐採し、利益金を出資額によって分けると規定し、この地域の無尽蔵な森林資源を手当たり次第に略奪しました。
1911年3月に日帝は「朝鮮森林特別会計法」なるものを公布し、朝鮮の森林資源を略奪するための会計を日本の「大蔵省」管轄下に移管すると規定しました。
中央階級的教育館の解説係であるソン・ギョンシムさんは、日帝は朝鮮の森林を大量略奪するため、1918年5月に「林野調査令」を公布したとし、日帝の森林資源の略奪行為についてこう暴いています。
「朝鮮の森林に対する所有権を最終的に確定するという名目で行われた日帝の『林野調査』は1924年になってやっと終わりました。この期間に日帝は森林に対する所有の区分とその経済的条件を調査、確認、登録するという口実の下に朝鮮の全ての森林を完全に掌握しました。
これに基づいて日帝はありとあらゆる口実を設けて、『国有』の名目で多くの森林を略奪しました。
その中には墓地林と部落民が共同で利用した林地まで含まれていましたが、このようにして略奪された墓地林が300万ヘクタール、部落共有林が100万ヘクタールもありました。
日帝が略奪した森林は林状が最良のもので、朝鮮の全ての林野面積の57パーセントを占めていました。
日帝は『林野調査』の過程にこのように朝鮮の森林を自分勝手に『国有化』して略奪し、日本の財閥、宗教家、土木屋、材木商に勝手に分け与え、『調査』が終わった後も引き続き多くの森林を伐採できる特恵措置をとりました。
このように大々的に働かされた日帝の森林資源の略奪行為によって、朝鮮の森林は酷く破壊され、錦の山河として名高い朝鮮の多くの山が裸になりました。
また、日帝の無差別森林乱伐行為によって朝鮮の民族経済は莫大な被害を被り、朝鮮人民は数え切れない苦痛と不幸をなめました」


日帝の森林資源の略奪行為は数十年間、朝鮮を占領し、朝鮮人民の命とともに朝鮮の貴い全てを奪い去った罪悪の一端に過ぎません。
歳月が流れ、世代が変わっても朝鮮人民は日帝が強いた受難の歴史を絶対忘れず、その恨みを必ず晴らすことでしょう。
歳月が流れ、世代が変わっても朝鮮人民は日帝が強いた受難の歴史を絶対忘れず、その恨みを必ず晴らすことでしょう。